田尻先生
Q.25
以前、ある雑誌で田尻先生の投稿を拝見しました。その中で「残念ながら、中高では50分を通してひきつけられる授業は数少ない。」という、私にとっては耳の痛い指摘をされていたのが印象に残っています。今、大学教授として活躍されている先生の目から見て、高校の英語教育や英語の教科書はどのように映っているのでしょうか?  

 正直申し上げて、小中高と上がるにつれていい授業が減るというのが、年間70回ぐらい小中高で授業を見せていただく私の実感です。

 小学校では、児童が教師の言葉が理解できなかったり、集中がすぐ切れたりするので、先生方は言葉を選び、児童の集中が切れるのを見越して授業形態や活動にバリエーションを持たれます。また、手作りの教材教具を多用し、児童の興味・関心を引く努力をなさっています。もちろん、学年が低いほど何にでも興味を示すというアドバンテージはありますが、それでも5、6年生になると知的好奇心をあおられない学習には関心を示さなくなりますので、英語活動を含めて先生方は努力されており、各地で開催される研究会や研修会に積極的に参加なさっています。

 中学校では、生徒指導上の問題が増える時期ですので、イライラする生徒、やる気のない生徒、すぐにあきらめてしまう生徒を何とかひきつけようとして、ゲーム的な活動やペア・グループ活動を多用する先生がたくさんいらっしゃいます。ですから、書物を読んだり、研究会や研修会に参加されたりする先生は少なくありません。一方、高校に入学してくる生徒の中に、ゲーム的活動は好きだけれども座学は耐えられないという生徒が増えていると言われますし、小学・中学時代に努力をして乗り越えるという体験が不足している、単発的でつながりのない活動と相まって、学力がついていない生徒が増加しているなど、中学校では新たな問題も発生しています。

 高校では、教師が一方的に説明し、生徒はそれを写し、指名された生徒が一人ずつ答えていくというスタイルが多いです。私が関西大学に入学してきた学生にアンケートを採った結果、ほとんどの生徒がそれを楽しいとは思っていないということがわかりました。英語は技能教科であり、たくさん練習をした結果、読めるようになってきた、書けるようになってきた、聞き取れるようになってきた、話せるようになってきたという喜びがあってこそ学習意欲を継続することができますが、高校の授業ではそれがほとんど保証されていません。そこに問題があると思います。

 もう一つの大きな問題は、本来知的で楽しいはずである文法学習を、その楽しさを知っているがゆえについつい語ってしまう先生が多いというものです。私も高校で飛び込み授業をさせていただき、実際にその学校で使用している教科書を使って読解・文法学習をすることがありますが、生徒は私の授業を楽しんでくれます。読解も、文法も、わかればとても楽しいものです。限られた時間内に、生徒が理解・習熟するような準備ができるかどうかが勝負ですが、高校の先生方はその部分の努力が足りなく、その結果「教えた方が早い」という行動パターンに陥っていると思っています。

 家庭学習で教科書を読んでみたり、問題集に取り組んでみたりして、わからなかったことや間違ったことを学校に持ち寄り、みんなで話し合って解決したり、先生に教えてもらって解決したりするという授業スタイルであれば、生徒はもっと主体的に学習するはずです。教師が「大学入試」という言葉で生徒を脅すのではなく、生徒が大学入試はどういうものであるかを具体的に知り、自分の今の学力を確認すれば、できないことやわからないことが気になるはずです。それを学校で解決してやったり、解決するための処方箋を一緒に作ったりする授業であれば、状況は変わるのではないでしょうか。

 教科書は、内容は面白いのですが、モノローグが中心でバリエーションが少なく、中学の教科書と比較して、工夫しにくいと思います。私は教科書の使い方は約80種類持っていますが、そのうち高校の教科書でも当てはめられる手法は中学の半分以下です。それくらい高校の教科書は単調だと思います。

 中高の教科書の最大の欠点は、先生方がそれをどう使うと、生徒が自主的に学習し、伸びていき、喜び、家庭学習につながっていくかを保証していないことです。そういう教科書ができることを期待していますし、私も努力していきたいと思います。

 
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