この論争は、議論がかみ合っていないように思われます。先生は「英語の語順を定着させ、コロケーションなどの知識を身につけたうえで、その場にふさわしい表現を選んで話し相手を尊重しながら、相手の意見を引き出す」という文法力と社会言語学の観点で、「発信力」というものをとらえられており、先輩は「多少の間違いはあっても、情報の授受をすることができる力」というふうに考えていらっしゃるのではないでしょうか。
新しい指導要領では、「語と語のつながり」という表現をしてありますが、これは語順やコロケーションなど、文法の知識はコミュニケーションの基礎となるということを意味しています。中学校では、コミュニケーションを「とにかく通じればよい」ととらえた先生が多く、楽しいゲームとなんとか通じさせるコミュニケーション活動が横行し、より正確な英文の知識を求める高校で授業についていけない、あるいは高校の授業がおもしろくないといってやる気を失う生徒が多く出てくるというマイナスの結果につながっています。
一方、高校では生徒の学習者心理を考えることなく、「大学入試に合格するため」に文法をまとめて生徒に写させるだけで、実際に使わせたり、コミュニケーションの楽しさを味わわせたりすることには時間を割かないという状況があります。
高校の先生方には、「使わせてこそ文法を肌で感じる」ことを訴えたいですし、中学校の先生方には、「英語でコミュニケーションをする際、自分の意図することを正しく伝えるためには、適切に表現できる文法力が必要である」ということを訴えたいです。これが、新しい指導要領の意図するところでもあると思っています。
文法指導一辺倒の英語教育と、コミュニケーション能力を高めようとする英語教育の流れが、両極端に行き過ぎたので、振り子を真ん中に戻そうというのが、新指導要領の趣旨だと解釈すると、先生の主張なさることは、それをよく理解されているということではないでしょうか。