田尻先生
Q.17
 文部科学省から出された新学習指導要領の中に、「発信力」という言葉がキーワード的に使われており、私の中でもこの言葉がこれからの日本での英語教育において重要な言葉になっていくのかなと思っています。そこで「発信力を育てる英語科学習指導法」の研究を行っていますが、従来の「コミュニケーション能力」とどう違うのか?という問いを先輩教師からぶつけられて、うまく答えられない自分がいます。
 「発信力」という言葉だけとると、受信力の育成は考えていないようにとらえられがちなのですが、私が考える「発信力」とは、自分の発信により相手の発信も引き出せるような力、つまり一方向的なものではなく双方向、しかも、1(自分の発信)と2(相手の発信)だけのやり取りではなく、3(2に対する自分の発信)というところまで含めての「発信力」というように考えています。
 しかし、先輩教師からは、やっぱり「コミュニケーション能力なのでは?」と言われます。その過程にはもちろん受信(インプット)も含まれますので、「コミュニケーション能力」ではないかと言われればそうなのですが…。そこを自分自身クリアにして、なんとか「発信力」の定義付けを行い、生徒に英語での発信力をつけさせていきたいと願っています。
 

 この論争は、議論がかみ合っていないように思われます。先生は「英語の語順を定着させ、コロケーションなどの知識を身につけたうえで、その場にふさわしい表現を選んで話し相手を尊重しながら、相手の意見を引き出す」という文法力と社会言語学の観点で、「発信力」というものをとらえられており、先輩は「多少の間違いはあっても、情報の授受をすることができる力」というふうに考えていらっしゃるのではないでしょうか。
 新しい指導要領では、「語と語のつながり」という表現をしてありますが、これは語順やコロケーションなど、文法の知識はコミュニケーションの基礎となるということを意味しています。中学校では、コミュニケーションを「とにかく通じればよい」ととらえた先生が多く、楽しいゲームとなんとか通じさせるコミュニケーション活動が横行し、より正確な英文の知識を求める高校で授業についていけない、あるいは高校の授業がおもしろくないといってやる気を失う生徒が多く出てくるというマイナスの結果につながっています。
 一方、高校では生徒の学習者心理を考えることなく、「大学入試に合格するため」に文法をまとめて生徒に写させるだけで、実際に使わせたり、コミュニケーションの楽しさを味わわせたりすることには時間を割かないという状況があります。
 高校の先生方には、「使わせてこそ文法を肌で感じる」ことを訴えたいですし、中学校の先生方には、「英語でコミュニケーションをする際、自分の意図することを正しく伝えるためには、適切に表現できる文法力が必要である」ということを訴えたいです。これが、新しい指導要領の意図するところでもあると思っています。
 文法指導一辺倒の英語教育と、コミュニケーション能力を高めようとする英語教育の流れが、両極端に行き過ぎたので、振り子を真ん中に戻そうというのが、新指導要領の趣旨だと解釈すると、先生の主張なさることは、それをよく理解されているということではないでしょうか。

 
前の質問へ 質問一覧へ 次の質問へ→
ページの先頭へ
Copyright (C)2006 Benesse Corporation All rights reserved. Supported by Benesse Corporation.