板書とは、「先生が生徒にとって大切であると思った情報を書いたもの」ですが、それを写すだけでは力がつきません。外国語学習のプロセスで欠かせないのは、たっぷり練習し、間違い、それを知り、修正していくことです。板書は、「修正」の部分で活躍します。
例えば、生徒が He playing tennis. という間違った文を書いたとき、先生が「is
が抜けているよ」と言ってしまえば、その生徒は学習をしたことにはなりません。一方、「あー、おしい!1カ所だけミスがあるよ。1年の2月頃に黒板に書いたんだけどな。」と言うと、生徒はノートを開いてそのページを探します。(その際、毎日ノートに日付を書かせておくと便利です。そうすることで生徒は自然に曜日と日付を表す表現を覚えますので、一石二鳥です。)現在進行形のまとめのページを見つけた生徒は、「あー、わかった!」と言って、is
を加えて先生に答えを再チェックしてもらうでしょう。そこで先生が「おー、正解!素晴らしい。」と言うと生徒はとても喜びます。このとき生徒は、「やった、自力で直したぞ!」という誇らしい気持ちになり、それが彼らのさらなる英語学習の意欲をかき立てるのです。
つまり、板書を写したノートは「間違ったとき、わからないときに参照するもの」であり、何度も見てこそ写した価値があるものなのです。しかし、板書の量が増えれば増えるほど生徒のノートは増え、いつしか以前のノートをなくしたり捨ててしまいます。それでは、板書を写す意味がありません。ならば、板書をやめてプリントにして渡すのも1つの方法です。そうすると板書を写す時間をカットし、その分を習熟のための練習に費やすことができますし、分からなかったり間違ったりするたびにそのプリントを見ると、生徒の理解は深まっていきます。 |