ご質問を拝読して、30代の頃の自分を思い出しました。私は神戸市の公立中学校で教職をスタートし、10年目に故郷島根に帰りましたが、神戸市での9年間で先輩諸氏に教わった手法や自分で体得したやり方と、故郷島根の学校でのやり方の違い、先生方の考えの違いにカルチャーショックを受けました。ただ、そのときは納得がいかなかったことでも、後になって理解できるようになったことや、後にその先生の思いを知って感動したことがあります。先生もまず、その先生のおっしゃることは本当に正しいのか、あるいは間違っているのかについて、冷静に考えたり検証してみたりしてください。
我々教員は、将来生徒一人ひとりが自分を生かし、人とうまく関わり、社会に貢献することができるようになるための手助けをするのが仕事であり、それぞれの教員が担当する教科の中で、その目標の達成のためにできることを行っていきます。つまり、我々は教科を教えることだけが仕事ではなく、何事にも一生懸命に取り組もうとする態度、友だちと協力する姿勢、礼儀をわきまえた受け答えができる力などを、生徒が身につけられるように指導しなければなりません。となると、「いつでも就職試験を受けられるようにしつけること」は、あながち間違いとは言えません。
しかし、それぞれが担当する教科の面白さを教えることなく、「いつでも就職試験を受けられるようにしつけること」ばかりやっているのであれば、それは間違いです。どの子が将来何を必要とするかわからないので、ひょっとして自分の授業の中で生徒にとって将来使うものがあるかもしれない、あるいは職業選択のきっかけをつかんでくれたらと、期待を込めてその教科の魅力を伝えることは我々の職務であり、授業もまた進路選択の一環です。
その意味で、学年が上がるにつれて生徒の落ち着きがなくなってくるというのは、学校として、教員集団として、改善すべきことがあるということです。生徒が教師の支援や誠意、思いやりを感じていれば、時間とともに落ち着き、自立していくものだからです。
また、「生徒全員が静かに座って前を向いて先生の話を聞くこと」は当然のことのように思えますが、その先生の話が面白くない、悪意や敵意に満ちているとしたら、生徒は嫌悪感を抱いて話を聞きたくないと思うでしょう。この先生は自分たちの将来のことを考えてくれている、この先生は自分たちを大切にしてくれている、この先生は自分たちに有益な話をしてくれると思えば、生徒はちゃんと先生の話を聞きます。それをせずして力で押さえようとすれば、生徒は反発するでしょう。
たくさんの不満と不安を抱えて入学した生徒に英語を教えることは、簡単ではありません。英語なんて必要ない、英語なんてもう無理だ、と思っている生徒はたくさんいるでしょう。自信もやる気も失っている生徒に英語を勉強しようと誘っても、簡単には乗ってきません。「英語は将来必要だ、英語はもはや世界共通言語だ、英語がないとキャリアアップに支障が出る」などの言葉を並べても、ならば英語がいらない分野に進めばいいと思うでしょう。
私が先生の立場なら、やはり英語教師として英語の魅力は訴え続けると思います。無視されても、うっとおしがられても、一人でも興味を示してくれたらいいなと思って、チャレンジし続けると思います。教科書だけではなく、今、その子たちにとって必要なものを用意し、生徒の心を動かす努力をしたいです。そして、授業中にノート指導をし、授業後にノートを集め、たくさんコメントを書いてあげると思います。生徒が信頼してくれるまで、こちらの要求は通りませんから、ひたすら生徒のために動くという事実を積み重ねていくしかありません。
「学校から求められることが、私が今まで学んできたことと大きく異なる」ということは、新たなチャレンジをして視野を広げろと神様が言っていると考えてください。そこで成功してこそ成長です。焦らず、いらいらせず、一度相手の懐に飛び込んで相手を理解したうえで、自分のところに引っ張ってくればよいと思います。その点で、小学校の先生方が言葉も気持ちも理解できない児童をどうひきつけられるかを知ると、とても参考になります。ぜひ小学校に行って授業見学をされ、勉強されるといいと思います。
私は、将来英語は必要ないと言う生徒がたくさんいる学校に勤務したことが何度かあります。最初はやる気がない生徒も、この授業は楽しい、面白い、役に立つと思うようになると、積極的に参加するようになりました。要は、授業の魅力です。でも一番の魅力は、人生の先輩としての、教師の人間性です。生徒が信頼し、相談したいと思う教師になるには、教科指導力と人間性を磨かなければなりません。
私もまだ道半ばですから、一緒に頑張りましょう。生徒に信頼され、慕われる教師を目指して。